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Category:ドキュメンタリー

男が恋したのは、タコでした

ドキュメンタリー映画をみて、久しぶりに心を揺さぶられる思いをしました。

心を揺さぶるとは、深い感動や興奮、喜び、悲しみ、驚きなどで激しく感情を動かすこと。
映像制作者として、観ている人の心を揺さぶることこそ究極目標です。

ドキュメンタリーは作りものではない事実や現実の物語。
観ている人の心を揺さぶるために大切なことは、“登場人物に感情移入させる”ことです。
「女手一つで育てた娘の結婚が決まったときに、末期がんの宣告を受けたシングルマザー」
「震災で全てを失った漁師町に大漁旗をかかげる染物職人」…etc.
物語の展開はもちろん大事ですが、登場人物に感情移入できなければ深い感動も生まれないのです。

前置きが長くなりましたが…
私の心を揺さぶったドキュメンタリー映画、その主人公は“タコ”です。
海にいる軟体動物、タコ焼きの蛸です。
タコに感情移入できるの?
タコに心を揺さぶられるってどういうこと?
普通では理解できないことが起きるからこそ、素晴らしい映画なのです。

「オクトパスの神秘 海の賢者は語る」
2021年のアカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞しました。

主人公は映像作家のクレイグ・フォスター。
南アフリカの海に潜り、その海底に生息する1匹のタコに出会うところから物語は始まります。
クレイグはタコの美しさと神秘に魅了され、1年に渡り毎日そのタコを観察し続けます。
カメラはタコが二足歩行で歩く姿や魚と遊ぶ様子を捉え、
その知られざる生態や知能レベルの高さを映し出していくのです。

…と、ここまでなら、普通のネイチャー・ドキュメンタリーと変わりません。

この作品が秀逸なのは、クレイグがそのタコを「She」あるいは「Her」と呼び、
恋い焦がれる女性のように扱っている(実際に恋して涙する場面も…)ことです。

タコという得体の知れない生物が「彼女」と呼ばれることで人格を持ち、
その生態を知りたいと迫るクレイグの思いは「好きな相手のことを知りたい」という恋心となり、
タコがクレイグを認識し近寄り触れ合う様は、まさに抱き合う恋人のよう………
と、恋愛映画の世界に引き込んでいき、いつしか彼女(タコ)に深く感情移入していくのです。

知的な彼女が、サメに襲われ傷つき、瀕死の傷を癒し、そして母親となり命をかけた出産に挑む…。
彼女をそばでそっと見守り続けるクレイグ…。
そして2人の関係は、想像もしないラストを迎えるのです。

もちろん南アフリカの海を神秘的に映した映像美や、
知られざるタコの生態を明かすことで知的好奇心を刺激する構成も素晴らしいのですが、
タコとの関係を恋愛として描くことでタコへ感情移入させることができたからこそ、
観ている人の心を揺さぶる映画となったのだと思います。

映像制作者としても大変勉強になった作品でした。
皆さんも是非ご覧になってみてください。

ドキュメンタリー映像ディレクター
武田晋助